子守唄研究室
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ねんねこ通信

タイトル:ねんねこ通信8号
日付:2003/11/6(木)

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 ねんねこ通信 8号  2003.11    http://komoriuta.cside.com/
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◎目次

●ねんねしないヨー

●お月様いくつ――隠された事件

●コラム--江戸開府400年ーーその昔

●編集後記

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◆ねんねしないヨー
 1・2・3歳児の3名を仲間と2人で保育しました。1歳児のAちゃんはお母さん
の背中で眠ったまま、そっと布団に寝かせました。2歳児のBちゃんは、お母さんと
離れる時「ちょっと辛いけれど我慢するよ」というような表情を見せました。3歳児
のCちゃんは、もうすっかり慣れて遊ぶのを楽しみにしているお子さんです。しばら
くは保育者と1対1の遊び。気分がほぐれてきたので、4人で積み木を使って遊んで
いました。Aちゃんがごそごそと動き出し、ぐずりはじめました。傍にいた仲間が抱
いてあやしていたら、Bちゃんがトコトコと歩いてきて私の膝に座り泣き出したので
す。お母さんを思い出したのでしょう。
 それからが大変でした。肩に担ぐように抱いて話しかけながら部屋の中をぐるぐる
歩き回りました。大声で泣いたりすすり泣きになったりしているうちに、身体がほか
ほかとしてきたのでここぞとばかりに「ねんねんころりよ・・」と歌ったのです。す
るとBちゃん、うずめていた頭をすくっと起こして「ねんねしないヨーー」。
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◆お月様いくつ――隠された事件

 お月様いくつ 十三 七つ
 まだ年ゃわかいな
 あの子を生んで、この子を生んで
 誰に抱かしょ おまんに抱かしょ
 おまんどこへ行た 油買いに 茶買いに
 油屋の前で すべってころんで 
 油1升こぼした その油どうした
 太郎どんの犬と 次郎どんの犬と
 みんななめてしいもうた その犬どうした
 太鼓に張って あっちいっちゃドンドコドン
 こっちいっちゃドンドコドン
 ドンドコ ドンドコお月様
 
 この歌詞は私の母(明治42年、宮崎県生まれ)から教えてもらったものです。こ
の唄の類歌は全国にひろがっています。年もいろいろで十三 一つとか九つとかなど。
また「油屋の前で 滑ってころんで 赤い着物よごして 洗濯屋で洗い 乾屋で乾し
て 畳屋でたたんで 仕舞屋でしまった」という歌詞もあり、その意味するところは、
子どもを「始末する」ことを暗示しているのではないかとも思われます。

 このお月様のうたも「おんな二代の記--山川菊栄著」によると、
 私の母がその父延寿から伝え聞いたところでは、これは単純な童謡ではなく、七代
将軍(1713-16)の頃、その生母月光院のスキャンダルを諷してできたもので、月光院
が六代将軍家宣に仕えて七代を生み、家宣に死別後まだ年が若くて閣老間部詮房の子
をみごもったといううわさをいい、「おまんに抱かしょ」はおまんの方をさし、あと
の文句は結局その子を暗に流して世間体をつくろったことをいったもの。「太郎どん
の犬と次郎どんの犬と」とあるのもそれぞれ当てはまる人物が当時の人にはわかって
いたらしく、本来は子どもに歌わせていい歌ではなく、江戸ではやり始めた頃には幕
府が嫌って抑えたともいわれているが、結局月光院の反対派が勝ったことでもあり、
時とともにその由来も意味も忘れられて、後にはたんなる子どもの歌としてひろくど
こでも歌われるようになったというのですが、はたしてどんなものでしょうか。 

 「はたしてどんなものでしょうか」と書かれているように、真偽ののほどはわかり
ませんが、政治的社会的事件を諷刺したり、事件を暗喩するという性格を持って意図
的にうたわれたと伝えられている唄は、他にもあります。

 山川菊栄(1890−1980)は、労働省婦人少年局初代局長として女性の地位向上に尽
くした人です。(おんな二代の記ー岩波書店より)
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コラム
 江戸開府400年ーーその昔
 山川菊栄の祖父(青山延寿)は水戸藩士で、明治5年(1872)5月本郷から愛宕山
まで歩いた時の風景を書き残しています。
 
 旧水戸藩邸のあと、後楽園周辺の地域は錬兵場となって一面に細い草につつまれ、
九段坂をのぼると、新築したての招魂社(靖国神社)がりっぱなだけだ。この辺一帯、
高い塀をめぐらし、棟の高い堂々たる旗本屋敷ばかりだった昔にひきかえ、今はあた
り一面麦畑、菜畑になってしまい、おりおり雉の声がきこえるばかり。瓦や小石や馬
や犬の糞や、土くれがうず高く道をうずめている。・・・。やがて一人の老人がやっ
てきて、あたりを歩きまわり、今昔の感に堪えないもののように「ああこれではまる
で草原だ。いつになったら昔のお江戸の繁昌が見られることかなあ」とかこった。私
は黙って傍らにいたが、思うに、昔の江戸の繁昌はけっして健全なものではなかった。
富と文化と人口が江戸に集中し、地方が余りにも貧しすぎた。今や諸藩は封土を朝廷
に返し、無用な邸宅もまた官に帰し、家臣たちは郷土に帰って農耕に従い、都下の人
口は約半減し、武家屋敷の屋根は傾き、練塀ははげ落ち、草は地をおおうている。し
かしこれは都市が痩せて天下が肥えるのだから結構ではないか、と自分は考えた。

 荒れ果てた邸宅は政府のお荷物で、地方から官職についた人に貸し付けたり、無償
で払い下げたりしていたそうです。隔世の感あり。
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編集後記
結局Bちゃんは自分が乗ってきたベビーカーに座って眠りました。なだめすかすの
をやめて褒めちぎったのです。ベビーカーの横に座り込んでゆっくり動かしながら、
「Bちゃんはいい子に遊んでいます。お友達と仲良く遊んでいます。歯を磨くいい子
です。私はBちゃんが大好きです・・」。言葉の意味が分かる年齢で泣きじゃくる子
どもに「寝る」という言葉は禁句でした。
 いい経験をさせてもらいました。
 ホームページを開設して1年になります。これからもどうぞよろしく。
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