子守唄研究室
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ねんねこ通信

タイトル:ねんねこ通信25号
日付:2007/6/17(日)

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 ねんねこ通信 2号  2007.6    http://komoriuta.cside.com/
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◎目次

●介護と年金問題

●石川県の子守唄

●コラムー能登・珠洲の民話「引砂のさんにょもん(三右衛門)」

●編集後記
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◆介護と年金問題
 厚生労働省や社会保険庁が大変なことになっています。私にも他人事ではありませ
ん。昨年から年金生活をしていますし、この7月で98歳になる母は、ヘルパーさん
のお世話になっています。
 満60歳を迎える少し前に、社会保険事務所へ行って調べました。20歳から任意
で国民年金に加入していましたが、途中で会社員(厚生年金)になり、また国民年金
になり、次は制度が変わって第3号被保険者に、最後は、また厚生年金でした。途中
重複して払っていた事がわかり、国民年金分を払い戻してくれました。
 この制度の欠点は、その都度番号が付けられたことです。始めに1人の個人には1
つの番号しかないことに決めておけば、このような騒動は避けられたと思います。
 政府は、どのような方法で解決しようとしているのでしょうか。困難は目に見えて
います。
 社会保険庁が、年金を無駄使いしたことは、別に裁かれることとして・・・。
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◆石川県の子守唄
        
 遊ばせ唄から紹介します。
                                         ゆんべ(昨夜)夢見た 地獄の夢や  
 鬼が餅つきゃ 閻魔さんがちぎる
 鼻欠け地蔵が 食いたがる
 われも食いたけりゃ てったい(手伝い)せい
 てったいしようにも たすきがない
 隣行って借ってこい
 隣のばあば(婆々)はお茶婆々(世話好きのお婆)
 かき餅焼くてて へそ焼いて
 その手でお釈迦の顔なでた
 お釈迦臭いてて 鼻つまんだ
 (3〜4歳の子どもを相手にした遊ばせ唄です。)

 手ってのねずみ はしかいねずみ
 麦食て 藁食て 米食て
 コチョコチョコチョ
 (子どもの身体に指をはわせて、コチョコチョ)

 つぎは、眠らせ唄です。寝かしつける時の言葉も色々あります。
 
 ねんねやころろ ねんねんや
 やや(母親)のおらぬ間に 豆腐汁かけて
 まま食わそかなん
 ややどこ行かしたなん
 ややはかなやま(金山)へ金儲けに
 そしていや 明日の晩来てやぞや
 (佐渡の金山へ出稼ぎに行っていたようです。)

 ねんねこうこ
 ねんねのままんまにぼう(魚)すえて食わせよか
 寝たら食わせよ 寝ずや食わせまい

 ねんねんころりん ねんころりん
 おらの赤子が寝たら 鯛買うて祝うて
 あたり近所呼うで 在郷じゅう配って
 なんの祝いと聞いたらば おらの赤子の寝た祝い
 ねんねんころりん ねんころりん
 
 おろろんころろん 旅の人
 石を枕にせぬもんじゃ
 もはや後へと帰られん
 (石枕は死者を葬る時に使う物です。)

 最後は、守りべがうたった守り子唄です。
  
 七つ八つから子守りに出たら 
 こわら(悪童)傷める めら(女郎)せせる
 親のない子の あのざま見され
 しそ(裾)を結んで 肩に掛け
 こんこん今夜は はやおか祭り(12月15日の年季変わりの日)
 しもて行くわいね 親のそば
 こんな泣く子の 守り子さいやや 
 泣いて泣きつく 郵便箱
 泣いて泣きつく 郵便箱に
 親の便りを 聞きたさに
 今年ゃこうでも 来年からは
 好いた兄さまと 田んぼする
 ねんにゃ泣く役 守りゃすかす役
 せめて片親 ござりゃよい
 巡査在所を 廻る役
 守りというもな あわれなもんや
 盆と祭りに ただ半日
 (郵便箱や巡査という言葉が出てきますので、明治時代に入ってからの唄でしょう)
 
 子守りが何処へ何をしに行ったのか。レポートにまとめたのですが、母親が金山に
出稼ぎ行ったことは、別のところに分類していたので出てきませんでした。まだまだ、
様々なことが出てきそうな気がします。
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コラムー能登・珠洲の民話「引砂のさんにょもん(三右衛門)」

 三右衛門は江戸元禄時代、現在の珠洲市三崎町引砂に実在したとされる人物で、頓
知にたけ、その機転で時々人々を助け、そして大抵は、人々をちょっと困らせる、け
れど憎めない人でした。(発行・編集「さんにょもん保存会編集委員会の冊子より)

 家を建てる
 三右衛門の家もだいぶん弱っておったんですと。隣の者な「三右衛門や、家を何と
かせんかいや」と言った。いつも人のおせっかいをかくので、あまり気分がようなか
った。あるとき三右衛門は、隣近所へ「おらとこの建前準備できたさかいに、みんな
ちょっこし来てくだし」とふれたげ。いよいよ三右衛門も家を建てるがやろかと思て
在所のもんなワイワイ言いながら集まってきた。
 しかし、一向にそんな様子がないもんで「おい、三右衛門、お前家を建てると言う
さかいに、こうしてお酒やら煮しめを持って来たがに」と言うと、三右衛門な「おお
準備出来たげ。実は昨日、裏の山へ行って松やら杉を植えて来たさかい、これで準備
万端や」と。
 また、三右衛門にやられたと皆すごすご帰ったげと。

 これらの話は、子どもを寝かせる時に「寝物語」として語り継がれてきました。子
守唄と同じと言えます。
 「さんにょもん保存会」の会長をしていらっしゃる濱田さんをお尋ねして、お話を
聞きしました。退職した今は、地元の民話を語り継いで欲しいと、小学校に出向いて
子ども達に語りを実演しているそうです。
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編集後記
 美味しいお米が欲しい、と言って紹介されたのが、珠洲市の(有)すえひろでした。
その田圃を見たかったので、はるばる出かけて行きました。田植えして間もない一面
の浅緑の田圃では、数羽の鷺が餌をついばんでいました。鳥にも優しい田圃でした。
 能登半島の突先、狼煙岬に連れて行ってもらいました。そこは日の出と日の入りが、
水平線上に見られる貴重な場所です。今は無人になった灯台も、大事な役目を果たし
ているそうです。須須神社の森は大樹が多く、トトロの森のようでした。金沢に出て
兼六園と金沢城公園に行きましたが、自然に勝るほどではありませんでした。

 濱田さん、「すえひろ」の北風さん、お世話になりました。感謝。
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